テレビで話題に!伝説の女優・梶芽衣子は結婚していない理由とは?
2016/08/27
Hanabana
梶芽衣子さんの「結婚」について探る前に、梶芽衣子さんのプロフィールを見ていきましょう!
梶芽衣子(かじ めいこ、1947年3月24日 - )は、日本の女優・歌手。東京都千代田区神田出身[1]。本名:太田 雅子(おおた まさこ)。オフィスカネダ所属。
梶芽衣子さんは、神田の出身ですか〜。目力がすごくあって、クールビューティーという印象ですかね〜。
来歴[編集]
実家は神田の老舗寿司屋[1]。八雲高校在学中より高橋圭三の事務所に所属し、1965年、高校卒業と同時に日活に入社[1]。同年に映画『悲しき別れの歌』で本名の太田雅子でデビューし、石原裕次郎・小林旭・松原智恵子・吉永小百合らが主演する映画で助演していた。
梶芽衣子さん大ベテランですね。
子役からのアイドルスターであった太田博之とコンビを組み、W太田として青春スターとして売り出され、1965年の映画『青春前期 青い果実』で主演を果たす。この頃は慣れないアフレコに四苦八苦しており、そんな梶をある大物女優があざ笑い、怒った梶はその女優に啖呵を切ったという。その噂は撮影所に瞬く間に広がって武勇伝となり、会社の重役からは絞られたものの、その事が切っ掛けでアフレコを一生懸命に練習し、上達した[2]。1969年に出演した映画『日本残侠伝』で監督・マキノ雅弘に芸名を梶 芽衣子と改名される[3]。改名は成功し、以降不遇時代から抜け出す[1]。
なるほど。梶芽衣子さん根性が座ってたのですのね。
1970年の日活映画『野良猫ロックシリーズ』5作に主演し人気を得るが1971年、日活がロマンポルノに移行したため退社[1]。フリーとなり『大江戸捜査網』(東京12チャンネル)などのテレビドラマに出演[1][3]。1972年3月『純子引退記念映画 関東緋桜一家』を最後に引退した藤純子の後釜として東映に誘われ同年東映に入社した[1][4]。『銀蝶シリーズ』の後、『女囚さそりシリーズ』で人気を決定付けた[1]。本作で"ヒロインが台詞を喋らない方が凄みを増す"というアイデアは梶が出した[3][4]。また1973年、深作欣二監督に誘われて出演した『仁義なき戦い 広島死闘篇』でもヒロインを好演した[3]。『女囚さそり』のシリーズ化で揉めて東映をケンカ別れの形となり、同年東映を退社し再びフリーとなる[5]。その後東宝の『修羅雪姫シリーズ』など、各社で主演映画が製作されていく。これらの作品は海外でも人気を呼び、クエンティン・タランティーノは梶の熱狂的ファンと公言[3]。タランティーノは映画『キル・ビル』で『修羅雪姫』のオマージュをし、梶の歌「修羅の花」と「怨み節」を流している。
梶芽衣子さんといえば、『女囚さそりシリーズ』ですね。
野良猫ロックシリーズ
修羅雪姫
キル・ビル
一方でイメージ打破のためノーギャラで出演した『大地の子守歌』では、ほのかな優しさを主人公に向ける農婦の役を演じた[5]。1978年には宇崎竜童と組んで2人の主演映画をやりたいという自身のブランのもと製作された『曽根崎心中』では[8]、強い女の情念を演じて新境地を開拓し、国内の主要映画賞を複数受賞した[5]。1982年東映で映画化された『鬼龍院花子の生涯』は、元は梶が東映に企画を持ち込んだもの[9]。
テレビドラマではフジテレビ系列の大映ドラマや時代劇・サスペンスドラマに出演し、『鬼平犯科帳シリーズ』では密偵・おまさでレギュラー出演してきた。
歌手としても前述の楽曲を歌い、これらは2000年代以降にCDで次々と復刻発売されている。2009年6月24日には25年ぶりの新曲「女をやめたい」をリリースし、2011年5月25日には31年ぶりのオリジナル・アルバム「あいつの好きそなブルース」をリリースした。
梶芽衣子さん歌手としてもご活躍されていたのですね。
ヴァーナルの対談番組、及びぴったんこカン・カンで「お酒は一滴も飲めない」と語っている。
実妹の太田とも子は元歌手で、『野良猫ロック』では姉妹共演を果たした他『とおく群衆を離れて』『恋はまっさかさま』などのシングル曲を出し、また「有沢とも子」の名義では『抱きしめて』『恋のおとずれ』などを出している。
あこがれのスポーツ選手の内一人は花田勝。
出演したぴったんこカン・カンで、人生のモットーは「媚びない めげない くじけない」と発言した。
梶芽衣子さん、お酒は嗜まれなかったようですね。
さて、本題の梶芽衣子さん「結婚」をめぐる噂について探っていきましょう。どんな、「結婚」について噂があったのでしょうか?
梶芽依子「結婚決ってたんだけど『女囚サソリ』大ヒットで流れちゃったの」クールに見えて意外にも大おしゃべり
<アウト×デラックス>(フジテレビ系)
2015/4/14 12:00
ゲストは梶芽衣子で、代表作はもちろん映画「女囚さそり」シリーズなのだが、時代劇ファンには「鬼平犯科帳」の密偵おまさが馴染みだろう。おまさは36歳の設定で、梶は60代になってもその役をやれていることが若さの秘訣という。
いきなりですね。梶芽衣子さん、結婚は決まっていたのですが、お仕事が忙しくなりダメになってしまったそうです。「女優梶芽衣子」のイメージダウンにつながるため、結婚してはいけないという事務所の戦略でしょうかね。
1日20分、毎日11種類の歯ブラシを駆使して歯磨きをするという話から、かつて結婚を約束した男性がいて、結納も済ませ、会社にもこの1本を撮り終えたら結婚すると伝えていたが、その1本が「女囚さそり」で、大ヒットしたために結婚が流れてしまったという話までを次々に明かす。
なるほど、梶芽衣子さん、結納まで済ませていたのですか。本当に結婚直前だったのですね。
東映の『女囚701号/さそり』を撮影していた当時、大手レコード会社のディレクターとの縁談が進んでおり、同作を最後に芸能界を引退して専業主婦となる決意を固めていた。映画が予想以上の大ヒットとなったため続編が企画されるが、梶は結婚を理由に出演を断る。しかし岡田茂の説得により「あと一作だけ」の条件で続編の出演に応じたところ、その後も俊藤浩滋ら多くの関係者の説得を受ける形でなし崩し的に続編の制作が続けられ、縁談は最終的に破談になってしまった[6][7]。
梶芽衣子さんの結婚するはずだった結婚予定のお相手は、大手レコード会社のディレクターですか。なるほど、映画出演に足を洗って女優を辞めて、結婚したかったのですね。ところが最後の一本がヒットしたため流れてしまったと。でも梶芽衣子さんは、女優を辞めず、映画も続けながら、結婚はできなかったですかね?事務所や映画会社の戦略でしょうか?結婚予定の相手の方もそれを配慮してあげればよかっただけでは?
ただ、梶芽衣子さんの方から、結婚予定の相手に、「結婚破棄」を持ちかけたそうですね。以下の記事に書いてあります。
結婚を破棄した相手の男性から別れる条件として、「死ぬまで仕事をやれ」「誰とも結婚するな」と言われ、「守っちゃってるわね」と笑う。〔中略〕(放送2015年4月9日23時15分~)
確かに、相手が梶芽衣子さんに対して、「死ぬまで仕事をやれ」「誰とも結婚するな」と言いたくなるのもわかるような気がします。だって、仕事を続けながらでも結婚できたのでは?と思いますが、当時は世間体的にも無理だったのでしょうか?
以上、梶芽衣子さんの「結婚」の噂について探ってみました。いかがでしたでしょうか?
梶芽衣子さんの今後の活躍に期待いたします!!!
Copyright© 運営事務局