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アントニオ猪木さんの代名詞・「道」はオリジナル?誰が作ったの?

プロレス界のレジェンド、アントニオ猪木さん。総合格闘技の先駆けとしてアリと戦ったりと新しい道を作り続けてきた人です。そんなアントニオ猪木さんは引退試合で「道」という詩を披露していましたね。これは誰の詩なのでしょうか?オリジナル?

引退試合で「道」を披露したアントニオ猪木さんのプロフィール

リングネーム:アントニオ猪木
猪木 寛至
カンジ・イノキ
トーキョー・トム
リトル・トーキョー・トム
ミスター・カジモト

本名 猪木 寛至
ニックネーム 燃える闘魂

身長 190cm-
体重 102kg
誕生日 1943年2月20日(72歳)
出身地 神奈川県横浜市鶴見区

12歳で横浜市立寺尾中学校に入学するも、生活は厳しかった。13歳の時に母親、祖父、兄弟とともにブラジルへ渡り、サンパウロ市近郊の農場で少年時代を過ごす。

出典:https://ja.wikipedia.org

力道山。この人が居なければアントニオ猪木の伝説も生まれませんでした。

1960年(昭和35年)4月11日、興行でサンパウロを訪れていた力道山から直接スカウトされて日本へ帰国し日本プロレスに入団

出典:https://ja.wikipedia.org

所属 IGF(代表取締役会長)
スポーツ歴 陸上競技
トレーナー 力道山
豊登
サニー・マイヤース
カール・ゴッチ

デビュー 1960年9月30日
引退 1998年4月4日

まさに道を作り出した男、アントニオ猪木

日本プロレスを追放された後の1972年(昭和47年)1月26日に新日本プロレスを旗揚げした。当初はテレビ放送もなく苦しい経営であった。

出典:https://ja.wikipedia.org

当初は馬場さんとともに日本プロレスに所属していましたが、馬場さんとの対戦が受け容れられないことなどから確執が生まれ、追放処分となりました。

自分の我を引っ込めたときには、必ずといっていいほど挫折感を味わう。

出典:http://iyashitour.com

アントニオ猪木さんの名言、若い頃は色々な人との関係から挫折や苦労も味わったのでしょうね。

新日本プロレスは、「プロレスこそ全ての格闘技の頂点である」という「ストロングスタイル」を標榜。その後のプロレスに大きな影響を与える。猪木は自身の最強を証明するため、パキスタンの英雄アクラム・ペールワン、「熊殺し」の異名をとる空手家ウィリー・ウィリアムスとの対戦など、異種格闘技路線への挑戦を続け、後年の総合格闘技の礎を築いた。

出典:https://ja.wikipedia.org

若い頃のアントニオ猪木さん、カッコイイ!!

派手に見えれば見えるほど、裏で地味な努力をしているのがあらゆる世界のプロだ。

出典:http://iyashitour.com

ブラジルでの過酷な農園労働をしてきたアントニオ猪木さんが言うと納得の言葉です。

プロボクシング統一世界ヘビー級チャンピオン、モハメド・アリとの一戦は世界各国に中継され話題を呼んだ。日本では、昼間の生中継と同日のゴールデンタイム19時からのNETテレビでの録画中継という形で2度放送された(詳しくはアントニオ猪木対モハメド・アリを参照)。

出典:https://ja.wikipedia.org

もはや伝説ですね。アントニオ猪木という名前を世界に広げました。

出る前に負けること考えるバカいるかよ!

出典:http://iyashitour.com

アミン元大統領

1979年(昭和54年)1月にはアフリカの元ボクシングヘビー級チャンピオンでウガンダの元大統領であるイディ・アミンとの異種格闘技戦の計画が浮上した。アミンは猪木戦を承諾したが、その後クーデターを受けサウジアラビアに亡命したため、結局対戦は実現しなかった。

出典:http://ja.wikipedia.org

アフリカで最も血にまみれた独裁者と称されたアミンとの対戦。ある意味ではアリとの対戦よりもセンセーショナルです。まさに新しい道をつくるところでした。

引退試合の対戦相手、ドンフライの言葉。
「イノキさんと出会って、そして東京ドームで対戦できたことは、とてもグレートな経験だ」

リングに上がっているのに、なぜスキを見せるのか。

出典:http://iyashitour.com

アントニオ猪木伝説の引退試合・「道」

アントニオ猪木さんの自筆による「道」

実は道の前に行った言葉の方が心にしみます。「人は歩を止めたときに、そして挑戦を諦めたときに年老いていくのだと思います」 人生を挑戦してきたアントニオ猪木さんだからこそ言える重い一言ですね。

「道」はアントニオ猪木さんのオリジナル? 誰かの詩?

アントニオ猪木さんが引退試合でのスピーチで披露した「道」ですが、これはオリジナルではありません。みんなご存知ですよね? それでは誰の詩なのでしょうか?

アントニオ猪木 「道」

 この道を行けばどうなるものか。
 危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし。

 踏み出せばその一足がみちとなり、
 その一足が道となる。
 迷わず行けよ、行けばわかるさ。

出典:http://anomusic.exblog.jp

アントニオ猪木さんはこの方の詩だと勘違い……

アニメで有名な一休さんです。

実はアントニオ猪木さん自信も誰の詩か分かっていなかったみたいです。自伝では違うこの方の詩として書かれています。 アントニオ猪木さんの勘違いですね。

『猪木寛至自伝』には、一休宗純の言葉として以下の詩が掲載されています。 「この道を行けばどうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし  踏み出せばその一足が道となり その一足が道となる 迷わず行けよ 行けばわかるさ」  これにより、アントニオ猪木氏がこの言葉を一休宗純の言葉として認識しているということはわかりました。

出典:http://crd.ndl.go.jp

アントニオ猪木さんに教えたい、「道」はこの方の詩なんです

清沢 哲夫『無常断章』「道」

此の道を行けば どうなるのかと
危ぶむなかれ 危ぶめば 道はなし

ふみ出せば その一足が 道となる 
その一足が 道である
わからなくても 歩いて行け 行けば わかるよ

出典:http://anomusic.exblog.jp

アントニオ猪木さんなりの改変があったようです。行けばわかるさ、という部分はアントニオ猪木さんのオリジナルで追加したところかと思っていましたが、実は原文でもあるんですね。

今でも独自の「道」を行くアントニオ猪木さんの今後はどうなる?

1989年(平成元年)、「スポーツを通じて国際平和」を合言葉にスポーツ平和党を結成。第15回参議院議員通常選挙に比例区から99万3989票を集めて初当選し、参議院議員となる(キャッチコピーは「国会に卍固め、消費税に延髄斬り」)。

出典:https://ja.wikipedia.org

プロレスだけでなく政治の世界でもアントニオ猪木流の「道」があります。

常識から1ミリでもいいから一歩踏み出せ。

出典:http://iyashitour.com

アントニオ猪木さんの名言で一番好きな言葉です。「道」も好きですが名言という感じではないですからね。アントニオ猪木を表す言葉ではないかと思います。

今回はプロレスだけでなく色々な道を示してくれるアントニオ猪木さんについてまとめてみました。「道」の本当の作者が分かりましたね? 誰かアントニオ猪木さんに教えてあげてください。
余計なお世話だ、バカヤロー、とビンタでも喰らってください。

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