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常に注目を浴びる斎藤佑樹!ピッチャーとしての評価はどうなの?

甲子園とハンカチのセットで一躍有名になった斎藤佑樹。アマチュア時代もプロになってからも、評価は賛否両論です。ネガティブな評価が多く言われていますが、中にはポジティブなコメントもあるようです。斎藤佑樹の投手としての評価をまとめてみました!

斎藤佑樹のプロフィール

斎藤佑樹

知名度抜群、鳴り物入りでプロになった斎藤佑樹だったが・・・

出身地: 群馬県太田市
生年月日: 1988年6月6日(28歳)
出身校: 早稲田大学
ポジション: 投手(右投げ)
プロ入り年: 2010年 ドラフト1位
所属球団: 北海道日本ハムファイターズ

”ピッチャー” 斎藤佑樹の評価 高校時代

ハンカチ王子のニックネームで注目を浴びた高校時代

高校3年生だった2006年の夏、斎藤佑樹は早稲田実業のピッチャーとして甲子園に出場。
決勝戦では、現ニューヨーク・ヤンキースの田中将大と投げ合い、見事に早稲田実業を優勝にまで導きました。
一躍脚光を浴びた斎藤佑樹は、その粘り強い投球が評価されて、甲子園優勝後には日米親善高校野球大会のメンバーにも選出されました。

安定したフォームも高評価のポイント

斎藤佑樹は安定した投球フォームでも高く評価されていました。
投げる前に右ひざを曲げて体重を乗せるというフォーム。
こうしたゆったりとしたフォームで、斎藤佑樹は独特のピッチングリズムを作り上げていきました。
甲子園優勝後には早くもプロ入りの報道が飛び交うなど、斎藤佑樹の評価は高まる一方だったと言えるでしょう。

”ピッチャー” 斎藤佑樹の評価 大学時代

高校卒業後は早稲田大学へ進学

高校卒業後、斎藤佑樹はプロ入りをせず、早稲田大学へ進学します。
東京6大学でプレーをすることになりますが、1年目から、堅実で安定したピッチングで高い評価を得ていました。
入学していきなりローテンション入りを果たすと、春季リーグでは優勝投手になります。
しかも、1年生でベストナインにも選出されるなど、斎藤佑樹の評価はまさに鰻登りという状態でした。
「持ってる」発言が生まれたのは、優勝後のパレードの時です。
2年生になってからもその快進撃は続き、エースの証明である背番号1を付けることになりました。
しかも、最多勝を獲得するなど、斎藤佑樹の評価は確実に上がっていきます。

やがて壁にぶち当たることになった斎藤佑樹

大学3年目を迎えた斎藤佑樹は、日米大学選手権大会のメンバーに選ばれます。
とはいえ、その評価は必ずしも高いというわけではありませんでした。
目の覚めるようなピッチングは影をひそめ、打ち込まれる場面も増えていきます。
この頃から、斎藤佑樹は速球に対するこだわりが出てきたようで、そうした意識が高い評価を得ていたピッチングフォームを崩す原因となっていまします。
しかも、この年は春も秋もリーグ戦で優勝を逃すなど、チーム全体が低い評価を受けていたと言えるでしょう。

時には力投が実らず敗戦投手になることも

斎藤佑樹の高い評価は、高校3年生から大学2年生にかけてがピークだったという見方も。
では、なぜ大学3年以降に評価が下がったのでしょう?
理由はさまざまですが、対戦相手が斎藤佑樹の球筋や球種に慣れていったということが最大の理由と言われてます。
大学のリーグは1年に春と秋の2回。
対戦を重ねるごとに、対戦するバッターたちは確実に斎藤佑樹のピッチングに適応していったというわけです。

課題のひとつは投球フォームの改良だったという声も

大学の後半にかけて伸び悩んでいた斎藤佑樹。
中には、投球フォームが安定していないという厳しい評価もありました。
高校時代に見せていた右足に体重を乗せて投げ込むフォームも、だんだん崩れていきます。
さらに厳しい意見になると、斎藤佑樹にフォーム改造の適切なアドバイスをする指導者やコーチがいなかったという人もいます。
高校野球に比べると、大学野球の方がレベルは圧倒的に上。
高校時代の実力をさらに伸ばさないと、大学で活躍することはできないというわけです。
斎藤佑樹の野球人生を見ると、この大学時代がプレーの質を決めた転換期だったと言えるでしょう。
レベルアップした投球フォームを身に着けることができなかったことが、後々、プロの世界での評価にもつながっていくのです。

プロ入団時の斎藤佑樹の評価は?

期待を背負ってプロになった斎藤佑樹

大学時代の斎藤佑樹の評価はずば抜けて高いとは言えませんでした。
それでも、天性の才能の持ち主という評価も聞かれ、ドラフト会議を経て北海道日本ハムファイターズに入団することになります。
当然、メディアが斎藤佑樹を放っておくことはありませんでした。
キャンプの時には、大勢の観客が球場に詰めかけるなど、評価よりも、人気が先行していました。

”ピッチャー” 斎藤佑樹の評価 プロ時代(現在)

プロ入りしてから目覚まし活躍ができない斎藤佑樹

斎藤佑樹のプロ入りについては、プロ野球選手として将来を不安視する声が多々聞こえました。
その声が、シーズンが始まると現実のものになってしまいます。
1年目は6勝6敗と善戦しましたが、大卒でしかも鳴り物入りで入団した投手としては、さみしい成績でした。
2年目になると5勝8敗と負け越し。
この年から、早くも斎藤佑樹の限界説が流れ、右肩下がりの評価が続いていきます。
3年目は怪我を負った影響で、斎藤佑樹の登板数はわずか1試合。
しかも、敗戦投手になってしまったので、0勝1敗という散々たる成績を残してしまいます。
これでは、厳しい評価をされても言い訳はできません。
斎藤佑樹は、3年目から2軍での調整や登板を余儀なくされ、1軍でピッチングをする機会はほどんど与えられませんでした。

周囲からの厳しい評価に何を思うか・・・

2軍での調整が続く中、なんとか安定したフォームを手に入れようとトレーニングを積んでいる斎藤佑樹。
でも、力めば力むほどフォームは崩れていき、それに連動するように、コントロールも悪化していきます。
かつては、制球力に定評のあった斎藤佑樹ですが、2軍生活を送るうちに、その制球力も狂ってしまったようです。

起死回生が待たれる斎藤佑樹

2016年7月現在、斎藤佑樹の成績は0勝1敗。
とはいえ、登板数は9試合と徐々に1軍でプレーする機会は増えているようです。
狂ってしまった歯車をどう修正するか。
それができないかぎり、1軍で勝ち星を重ねることはできないとうのが、現在よく見られる斎藤佑樹への評価です。

メジャー関係者による斎藤佑樹の評価

メジャーからはさらに厳しい評価が

かつて甲子園で投げ合った田中将大は、いまや常勝軍団ニューヨーク・ヤンキースのエース格。
その田中将大に投げ勝った斎藤佑樹は、日本のプロ野球で、しかも2軍でさえ安定した投球ができないでいます。
日本にはメジャー関係者が注目する投手がたくさんいますが、残念ながら、斎藤佑樹は調査の対象外という声があがっています。
厳しい評価ですが、現実の成績を見れば、そう言われても仕方がありません。

メジャー関係者は斎藤佑樹の実力を一刀両断

メジャー関係者の中には、そもそも斎藤佑樹がプロ野球選手でいることに疑問を抱いている人もいるようです。
メジャーリーグは、弱肉強食の世界。
成績が残せなければ、生き残ってはいけない世界です。
2軍で満足に成績を残していない投手が、1軍で投げる機会を与えられるなんて、メジャーリーグの関係者には信じられないことなのです。

ハンカチ王子のあだ名はもういらない!

ハンカチ王子のあだ名は返上!

斎藤佑樹がハンカチ王子と呼ばれてずいぶんと時間が経ちます。
メディアでも取り上げられることが斎藤佑樹ですが、実はハンカチ王子というあだ名を快く思っていなかったとあるインタビューで語っています。
イメージが先行してしまうのが嫌だったようです。
斎藤佑樹のなかでは、ハンカチ王子というイメージはすでに消えているとか。
ゼロからスタートして、トレーニングに励んでいるのでしょう。

斎藤佑樹の評判をまとめると・・・

厳しい評価を覆すには・・・

現在、斎藤佑樹はプロ野球選手として厳しい評価を受けています。
成績がものをいう世界だけに、低い評価に反論する余地はないでしょう。
現在では、成績不振によるクビも噂されている斎藤佑樹。
低い評価を覆すには、ただ勝利を重ねるしかありません!

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