2024/02/16
r.y6
それではまず、池上季実子さんのプロフィールなどを詳しく見ていこうと思います。
父親が商社勤務でニューヨークで生まれ、3歳で日本に帰国した池上季実子さん。京都で暮らしますが、両親の別居、離婚に伴い上京しました。
池上季実子さんの母方の祖父は、1966年に日本芸術院賞を受賞した歌舞伎役者である八代目・坂東三津五郎さんです。
叔父は九代目 坂東三津五郎さん、従妹は十代目 坂東三津五郎さんです。
若い頃の池上季実子さんは、石原さとみさんによく似てると度々話題になる事があります。目元と色っぽさが似ていると言われる所以かもしれませんね。
確かに、若い頃の写真を見ると似ていると感じます。
池上季実子さんは、1度結婚歴がありますが、離婚され、現在独身でいらっしゃいます。
池上季実子さんのように60代で独身の女優さんは
などがいらっしゃいます。
皆さん、仕事を続けていらっしゃって、経済的にも自立されている方ばかりですので、結婚するよりも自由に動ける独身を選んでいらっしゃるのかもしれませんね。
続いては、池上季実子さんの離婚した相手はいったいどんな人だったのかを詳しく見ていこうと思います。
池上季実子さんは、人気絶頂だった1985年に10歳年上の一般男性と結婚をしました。相手の男性は、古美術商を営んでいる人物でした。
ちなみに、池上季実子さんの元旦那は現在も東京都の青山でアンティークショップのオーナーをされています。
池上季実子さんの結婚が報道される前に、既に2人は結婚をしていました。マスコミ不信となっていた池上季実子さんが、結婚を発表していなかったのです。
発表をしなかった理由として池上季実子さんは、「それ以前のマスコミによる嘘の交際報道により深く傷つき、マスコミ不信になっていたから」と話しています。
当時、できちゃった婚として報道されました。実際、報道された時は妊娠していましたが、籍を入れたのは妊娠の前だったので、できちゃった婚ではありませんでした。
人気女優の池上季実子さんと古美術商のオーナーだった元旦那との出会いはなんだったのでしょうか。あまり関係性は無いように感じます。
池上季実子さんは、歌舞伎の一家に生まれ、幼い頃から古美術に親しみがありその関係で知り合って仲良くなったそうです。
離婚理由は旦那さんのDVが原因といわれていて、飲みに行っていた旦那の帰りが遅く、そのことを怒ったら殴られたらしいといった噂があります。
池上季実子さんが開いた離婚会見では、池上季実子さんが過労で倒れてしまったことがきっかけで離婚を考えるようになったとのことでした。
妻と母と女優のどれもが大事で、気を抜いたり、手を抜いたりするべきではないと思い必死でこなしていて、限界が訪れてしまったんですね。
自分の親が離婚していることもあり、親の仲がこじれるのは良くないと思い話し合いの結果、離婚という結論を出したようです。
池上季実子さんは、1985年もしくは1986年辺りに“芽実”という名前の女の子を出産しています。離婚後にはシングルマザーとして娘を育てました。
また、娘さんは2016年の段階で既に結婚を家を出られている事が分かっています。
娘さんについて、多くを語っていらっしゃらないので、これ以上の事は分りませんでした。
また、ネット上には娘さんの名前が『野々すみ花』であるという書き込みが多く見られましたが、証拠がなくこれが事実が同課は確認できませんでした。
元タカラジェンヌで、現在女優の野々すみ花さんとは関係がないものと推測されています。
池上季実子さんは、15歳の時に東京12チャンネルのテレビドラマ「愛と誠」のヒロイン役に抜擢されます。
池上季実子さんをヒロインに選んだのは、漫画家で原作者の梶原一騎さんでした。
梶原一騎さんは池上季実子さんの魅力にほれ込んだようで、独断でヒロイン役に抜擢したと言われています。そして、ドラマ撮影後も二人は会っていたと言われており、愛人関係にあったと噂されています。
池上季実子さんは、梶原一騎さんの立ち上げた芸能事務所に所属していましたが、芸能事務所は池上季実子さんのために作ったそうです。
梶原一騎さんは『箱入り娘に風を当てないようにして育てたんだ。ガードするには本当に手間かけたのよ。』と明かしており、この件に関してはっきりと否定しています。
池上季実子さんというと恋多き女優と言われ、一時期は13名もの男性の名前が挙がっていた事もあり、その中には実弟の名前も含まれていたというエピソードがあります。
過去の熱愛報道の過熱について、池上季実子さんは「『恋人』と書かれた男性は、みなさん、仕事の先輩。本当なのは、元ダンナくらいなものね(笑)」と当時を振り返り明かしています。
離婚後、神田正輝さんと熱愛が噂されたこともありましたが、それも長くは続く無かったようです。
そんな池上季実子さんですが、現在恋人がいるという噂はないようで、再婚の可能性は低いと考えられています。
2021年に婦人公論で東ちづるさんと対談した際は、恋愛はもう面倒くさいと語っていますので、再婚などは考えていらっしゃらないようですね。
続いては、池上季実子さんにまつわる噂について見ていこうと思います。
池上季実子さんは娘の教育に熱心だったとされています。
池上季実子さんが32歳の時、ハリウッドから池上季実子さんへ映画出演のオファーがあったそうです。ちょうど娘さんが、小学校受験を控えているタイミングだったそうです。
NYからプロデューサーが3度も池上季実子さんの元を訪ねてきて、「この役は君しかいない」と言われ、「これは神様に試されているな」と思ったそうです。しかし、親子関係が崩れてしまう事を恐れ、子供を優先するためにオファーを断っています。
今思い返すと、そのオファーを受けていたらどうなっていたか、女優人生も今とは違ったものになっていたかもと思うことは正直あるそうです。
しかし、今の子どもとの関係を思えば、断って良かったと思っているそうです。
子どもの反抗期も長く、いろいろ悪戦苦闘したそうですが、「私は子どもとちゃんと向き合ってきた」という確かな自信があったから、それを子どももきっと分かってくれ、今の関係があると考えているそうです。
池上季実子さんは、両親との楽しい思い出がほとんどないと明かしています。
父に関する最初の記憶は、3歳半ぐらい。幼稚園の入園試験を受けるためのお勉強をさせられていたときのことで、問題が分からないと「なんでこんなことが分からないんだ」と、バーンと頭を叩かれたのだそうです。
父親はしつけのつもりだったのでしょうが、思い通りに動かないと、池上季実子さんは常に怒鳴られ、夜中近くまでお説教が続くこともあったそうです。
父親がもうすぐ家に帰ってくると思うだけで息苦しさを感じたと言います。
母親も父からかばってくれることはありませんでしたが、父親は母親に対しても感情的に振る舞っていたため、かばいきれなかったのかもしれないと池上季実子さんは話しています。
また、母親は歌舞伎世界である梨園の血筋だったからか、弟ばかりをかわいがり、池上季実子さんには母親から抱きしめられた記憶も無いのだそうです。
両親は離婚しており、池上季実子さんは母親について上京したところ、スカウトされ芸能界入りすることとなりました。
池上季実子さんは、若い頃と比べると太り過ぎといった声が一部であがっているようです。
病気が原因ではと噂されていますが、実は、過去に起きた事故が原因かもしれません。
事故が起きたのは、1987年5月、池上季実子さんが28歳のときでした。旅番組の仕事でカナダを訪れ、街並みを紹介するために観光用の馬車に乗ったが、直後、馬が暴走し、走ってきたくる場に衝突し、池上季実子さんは投げ出されてしまいました。
事故後、病院で検査を受け、異常なしと診断されたそうですが、1年ほど経った際、ある日、突然首が動かなくなり、病院で検査を受けると、首の骨などがずれたまま固まって神経を圧迫していることが判明したのだそうです。
医師の診断は全身打撲の後遺症だったそうで、現在は週に1度9時間というマッサージを受けたり、ウォーキングなどのダイエットをしていて痩せる努力をしています。そのため、体型もある程度は痩せて昔に戻ってきています。とはいえ、昔の事故の影響や女性ホルモンの影響により太りやすく、むくみやすい体質となっているのです。
続いては、池上季実子さんの経歴や現在の活動について詳しく見ていこうと思います。
池上季実子さんが、3歳年上のいとこ、5代目坂東八十助(現・10代目坂東三津五郎)さんが NHKでドラマの撮影をしているところを見学に行ったとき、「お芝居に興味はある?番組に出てみない?」と声をかけられたことが芸能界デビューのきっかけでした。
池上季実子さんは、ためらうことなく、「はい、やります!」と答えたそうです。
その後、とんとん拍子に話が進み、声をかけてきたプロデューサーから「次のドラマの主役とかやってみる?」と、『まぼろしのペンフレンド』でデビューすることとなりました。
池上季実子さんが15歳の時です。
それまで演技経験はなく、まったくの素人でしたが、台詞(せりふ)も不思議と入ってきて、本当に夢中になって演じることができ、人に認められることがただうれしく、お芝居が楽しくて仕方なかったと当時を振り返り明かしています。
その後、様々な人気ドラマ、映画、時代劇に出演し、多くの作品でヒロインをつとめ、人気女優となっていきました。
そして、1984年公開の映画『陽暉楼』で第7回日本アカデミー賞優秀主演女優賞、1989年の『華の乱』で第12回日本アカデミー賞優秀助演女優賞をそれぞれ受賞するなど、この頃になるとテレビドラマではほぼ主演を務めました。
1990年代からは2時間ドラマに主軸を移し、2010年1月1日付けでオスカープロモーションへ移籍しました。
2019年1月8日、池上季実子さんが59歳の時に、オスカープロモーションを退所し、独立されています。
池上季実子さんは独立に際して以下のようにコメントしています。
「明けましておめでとう御座います。事務所変わりました。年女、還暦、芸能生活45年目。昨年末にオスカープロモーションを退社。切れ者女史とタッグを組んで新しく事務所を作り、女優として、もう一踏ん張りしてみたいと思ってます。まずは、1月は博多座の芝居からスタートです。今年も皆さんのお力をお借りして頑張りたいと思います」
続いては、池上季実子さんのように愛人の噂があった芸能人をご紹介していきます。
真実かどうかは確証はありませんが、島田紳助さんには以前から、気に入った女性芸能人に対して、自身の芸能界での力を誇示し、“枕”を強要する枕営業の噂が囁かれていました。
2021年4月、モデルでタレントのマリエさんが、インスタグラムのライブ配信で、当時18歳だった15年前に、島田紳助さんから枕営業の誘いを受けたと告白したのです。
マリエさんが“枕”を断ろうとすると、所属していた事務所から「金輪際仕事がこなくなるけどいい?」と確認されたのだそうです。そして、断ると出演していたほとんどのレギュラー番組から、見事にハズされてしまったのだそうです。
タレントのほしのあきさんは、島田紳助さんの番組にも多く出演しており、よく名前が挙がっていた一人でしたね。
他にも
2014年6月、ダウンタウンの浜田雅功さんとの不倫が報道されました。浜田雅功さんの番組に出演したことがきっかけで、愛人関係になったと言われています。
不倫報道以降、吉川麻衣子さんは仕事が激減し、メディアから姿を消しました。そして、2015年に芸能界を引退しています。
不倫報道後、後追い取材がされていないことや、吉川麻衣子さんが芸能界を引退している点から、所属事務所の吉本興業が何かしらの形で動いたのではないか、手切れ金を吉川麻衣子さんに渡し、関係を終わらせたのではないかという憶測が一部で広がりました。
女優・池上季実子さんの結婚や経歴などについてご紹介してきました。
1度離婚を経験されて以降、結婚はされておらず、恋愛はもう面倒くさいと話している池上季実子さん。
女優として、シングルマザーとして全力でこなされてきたからこそ、娘さんが結婚して自分の元を離れた今、趣味ややりたいことに時間を割いて独身生活を満喫されているようです。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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さまざまな映画やドラマに出演し、1980〜90年代に人気絶頂を迎えた池上季実子さん。現在も活躍している人気女優の結婚相手が誰なのか気になる人は多くいます。
本記事では、池上季実子さんの結婚について徹底解説します。結婚相手だけでなく、過去に恋人と噂された男性や子供がいるかどうかも紹介するので、気になる人はぜひ最後まで内容をご確認ください。