記事ID148370のサムネイル画像

眉毛が魅力!我修院達也の経歴や失踪事件の真相とは?現在(2022)は?

特徴的な眉毛を持っていて、歌手や俳優など多彩に活躍をしている我修院達也。彼は一体どういった経歴を持っているのでしょうか。そこで今回は、我修院達也の経歴や失踪したという事件の真相についてお伝えします。また、彼の現在に関しても見ていきましょう。

我修院達也のプロフィール

  • 本名(ふりがな/愛称):菅野彰之介(すがのあきのすけ/)
  • 所属事務所:我修院事務所
  • 生年月日:1950年12月10日
  • 現在年齢:71歳
  • 出身地:東京都渋谷区広尾
  • 血液型:B型
  • 身長:163センチ
  • 体重:48キロ
  • 活動内容:歌手、俳優、声優、など
  • 家族構成:妻、息子

本名は菅野彰之介

“我修院達也”という名前は、芸名となっています。我修院達也の本名は“菅野彰之介(すがのあきのすけ)”といいます。また我修院達也は1950年12月10日が誕生日であり、現在71歳です。そして、トレードマークとなっている繋がった眉毛は現在もそのままでしょう。

弟子も育てている

我修院達也は、弟子の育成も行っています。声優やナレーター、女優などとして活動をしている、”星川愛”が最後の愛弟子・付き人であるとしているでしょう。星川愛は、2018年に知人の紹介により我修院達也に師事するようになりました。

YouTubeチャンネルも開設!

我修院達也は、2021年8月10日よりYouTubeチャンネル『【公式】我修院達也チャンネル』を開設しています。現時点での最新の投稿は、2022年1月11日投稿の『我修院達也コメント返し動画』です。

我修院達也はどんな経歴?

続いて、我修院達也の経歴について見ていきたいと思います。我修院達也はどの様な道を歩いてきたのでしょうか。

子役として活動

母親が元女優だったこともあり、我修院達也は6歳から子役として活動していました。例えば、1959年の映画『私は貝になりたい』など有名な作品にも出演していたのです。その後、18歳で“桜一平”の名で演歌歌手デビューもしています。

若人あきらとして活動

その後に若戸章(わかどあきら)に改名して、さらに若人(わかと)あきらに改名していきました。この頃には、ナイトクラブでの弾き語りやキャバレーのショーを回るなどして稼いでいたといいます。

郷ひろみの歌真似が受ける

”若人あきら”としてテレビで郷ひろみの歌真似をしたのが、お茶の間に受けました。そして、『オレ達ひょうきん族』や『笑ってる場合ですよ!』、『ひるのプレゼント』といった番組で人気になりました。それにより、レギュラー番組も増加したのです。

我修院達也に改名

1993年に、芸名を“若人あきら”から“我修院達也”に改名しました。後述の事件で嫌気がさし、イメージを刷新したかったからです。“我修院達也”という芸名は、菩提寺の住職に依頼して経文から引用して付けてもらったといいます。

アメリカの作曲家にジョージ・ガーシュインがいますが、彼が由来というわけではありません。なお“我修院達也”に改名した頃には仕事に恵まれずに、通信カラオケの編曲あるいはキャバレー回りをしていました。

役者として認知される

我修院達也は、1999年に石井克人監督の映画『鮫肌男と桃尻女』に出演しました。石井克人監督が、子どもの頃から“若人あきら”のファンだったといいます。我修院達也は、この『鮫肌男と桃尻女』に出演したことがきっかけで、役者として世間に認知されるようになったのでした。

失踪事件の真相はどんなものだった?

我修院達也は、“若人あきら”という芸名だった時に失踪をして世間を騒がせたことがありました。続いては、我修院達也の失踪事件についてその真相を探ってみたいと思います。

釣りの途中で行方不明になる

今から30年ほど前の1991年3月3日に、我修院達也は静岡県熱海市に家族と旅行に来ていました。そして、彼は海岸において1人で釣りをしていました。その際に、彼は突然に忽然と姿を消したのです。我修院達也が釣りに出かけてから2時間後に、彼の妻・香織が迎えに行ったのだといいます。

 

妻が海岸を探しても、我修院達也の姿はありませんでした。我修院達也が行方不明になったことから、警察にも届け出されマスメディアも賑わせました。当時、若人あきらは40歳でした。

捜査費用は300万円

捜索費用には、多額のお金が必要になることがあります。我修院達也が失踪し、その捜索費用が300万円かかりました。なお、彼が姿を消した現場には本人の釣り竿と帽子のみが残されていたといいます。

3日後に発見!

捜索の結果、我修院達也は失踪から3日後に小田原市の図書館で無事発見されました。これまでには、北朝鮮による拉致とされる日本人の失踪事件が起こっていました。そのため、我修院達也が失踪をしたのも北朝鮮による拉致だったのではないかという噂も出たほどです。

なお、我修院達也が失踪した原因は未だもって不明となっています。

記憶喪失になっていた

無事に発見された我修院達也でしたが、以前の彼とは変わった部分がありました。我修院達也は、記憶喪失になっていたのです。彼は、後に医師から“シマ性健忘症”と診断されました。この症状では、自分に都合がいい部分を所々覚えてるという特徴があるといいます。

発見後の我修院達也は、警察の事情聴取で「海に落ちた」や「ガムテープで目隠しされた」などと証言しました。ところが、彼の着衣からは海水反応がなく、縛られた跡、ガムテープを貼られた跡が見当たらなかったのです。これにより、売名だと言われマスコミ等から批判を受けることとなりました。

そして、警察は我修院達也が頭を打ち彷徨っただけであり、事件性はないと判断しています。なお我修院達也は、事件後の記者会見で「わからないことがわからない」と語っていました。

映画出演で立ち直る

失踪事件後、我修院達也は映画出演をきっかけに復活を遂げます。彼ののファンであった映画監督・石井克人が、失踪事件後に映画『鮫肌男と桃尻女』への出演を我修院達也にオファーしました。しかし我修院達也は(タイトルから)いかがわしい映画かと勘違いしたため、一度断ったのです。

その後、息子が『鮫肌男と桃尻女』は変な映画ではないと誤解を解き、我修院達也が再度監督に会いに行き出演することになりました。これを機に、我修院達也は失踪事件から立ち直ったのでした。彼は、息子について「息子のおかげで救われた」と言っています。

12年後に事件がクローズアップ

我修院達也の失踪事件は、時を経て再度話題となりました。失踪事件から12年後の2003年に、週刊新潮が北朝鮮による拉致の可能性を掲載したのです。これは、警察庁警備局の関係者の話として掲載されています。これにより、失踪事件が再びクローズアップされました。

北朝鮮による拉致説については、週刊新潮が取材を申し込んでも我修院達也本人は反応していません。また、匿名の関係者から聞いた話として『我修院達也が「そんなこと、あるわけない」と一笑に付していた』と、サンケイスポーツが報道しています。

我修院達也は現在どうしている?

2021年12月で71歳を迎えている我修院達也ですが、現在はどうしているのでしょうか。続いては、我修院達也の現在について迫ってみたいと思います。

劇場版『ルパンの娘』に出演

2021年10月15日に公開された映画『劇場版 ルパンの娘』に、山本猿彦役で出演しています。また我修院達也は、2020年のドラマ版第2シリーズにも、山本猿彦役で出演しています。なお山本猿彦は、泥棒一家である「Lの一族」を狙う探偵の、北条美雲(演・橋本環奈)の執事です。

『オリバーな犬、 (Gosh!!) このヤロウ』に出演

2021年のドラマ『オリバーな犬、 (Gosh!!) このヤロウ』に、ポールダンス店のコーチ役で出演しています。なお、このドラマはオダギリジョーが企画した作品であり、オダギリジョーが脚本などを担当し自ら出演もしています。

グラブルのCMに出演

また、我修院達也はCMにも登場しています。人気ゲーム『グランブルーファンタジー』で、2021年8月に最高1,000万円がもらえるというキャンペーンが開催されました。それに合わせてCMも制作された模様ですが、その中で「 1000万もらえるグラブル~」と歌っていたのが、我修院達也だったのです。

我修院達也の眉毛の秘密とは何?

我修院達也というと、個性的な眉毛の持ち主でもあります。ここで、我修院達也の立派な眉毛について迫ってみたいと思います。あの個性的な眉毛は、本物なのでしょうか。

カモメ眉と言われる

我修院達也の眉毛は、一本に繋がっていてインパクトがあります。それもあり、見た人の印象に残っているかもしれません。人一倍眉毛が濃く、一本に繋がっていることから、我修院達也の眉毛は“かもめ眉”と呼ばれているでしょう。羽を広げたかもめのように見えるからであると考えられます。

眉毛は本物!

我修院達也の眉毛は、本物なのだろうかと不思議に思っている方もいるかもしれません。我修院達也の”かもめ型眉”は本物です。本人は、基本として眉毛を剃るのが嫌なのだといいます。また、眉毛を変える気がなかったのです。そのため、現在に至るまで立派な眉毛がトレードマークのようになっているでしょう。

眉毛を剃ったことがある!

ただし、我修院達也は眉毛をずっとそのままにしていたわけでもありません。2010年の映画『スマグラー』に塚田マサコ役で出演する際に、眉毛を剃り髭も44年ぶりに伸ばしたのです。それは、『鮫肌男と桃尻女』の監督でもある石井克人監督の要望でした。

我修院達也も、石井克人監督の望であれば断ることができなかったのかもしれません。

我修院達也はジブリ映画にも出演していた?

様々な方面で活動を続けている我修院達也ですが、ジブリ映画にも出演したことがある点を知っているでしょうか。ここで、我修院達也が出演したジブリ映画の作品やエピソードについて迫ってみたいと思います。

『千と千尋の神隠し』に出演!

2001年に大ヒットしたジブリ映画『千と千尋の神隠し』に、声優として我修院達也が出演しています。『千と千尋の神隠し』が、彼の声優としてのデビュー作品でした。なお、芸能界に入り既に40年以上が経ってからの声優デビューでもありました。

アオガエル役

我修院達也が『千と千尋の神隠し』で演じたのは、作中に登場する、アオガエル役でした。作品の中でも、印象深いキャラクターでもあるかもしれません。なお、我修院達也が人外を演じたのは初めてであったといいます。

初めから我修院達也に決まっていた

オーディションもなく、アオガエル役は初めから我修院達也に決まっていたのだといいます。彼の声が、キャラクターにマッチしていてぜひとも我修院達也にやって欲しかったのでしょう。なお我修院達也は、宮崎駿監督に「ごめんなさいね、人間の役じゃなくて」と言われたのでした。

『鮫肌男と桃尻女』がきっかけだった?

我修院達也は、宮崎駿監督に「どういう声質でやったらいいですかね?」と聞きました。すると宮崎駿監督は「何かの映画で変わった殺し屋の役をやっていたでしょう? あれのキーをもうちょっと高くしてやってもらいたい」と言われたといいます。

その映画こそ、殺し屋・山田正一役で出演した『鮫肌男と桃尻女』だったのです。宮崎駿監督は映画をテレビで視聴したのだといい、我修院達也の声を聞きアオガエル役を頼むことにしたのでした。

アオガエルの絵が出来ていなかった

『千と千尋の神隠し』のアフレコをしていた当時は、スタジオに仕切りがありませんでした。そのため、ある時宮崎駿監督が「プっ」と吹き出してしまい、その音がアフレコで録音されNGテイクとなったことがあったといいます。それに関して、我修院達也は「喜んでいただけて良かった」と語っています。

”吹き出すほどに受けた”ため、OKとなった証拠であるというのが理由です。また、アフレコをしている当時はまだアオガエルの絵が出来上がっていませんでした。アオガエルの表情も分からないまま、自身で考え演じるしかなかったのです。

完成したアオガエルの絵を見た我修院達也は、「うわぁ、こんなに可愛かったんだ」と思ったと語っています。

『ハウルの動く城』にも出演!

2004年の『ハウルの動く城』にも、我修院達也は”カルシファー”役で出演しました。“カルシファー”は、ハウルと契約を交わした火の悪魔です。実は原作では『魔法使いハウルと火の悪魔』というタイトルのため、“カルシファー”は主役でもあるでしょう。

“カルシファー”によって火が起こらなければ、城も動かないためです。

アオガエルと一緒ではダメ

「おいら消えちゃうよ~」のセリフが印象的な“カルシファー”ですが、宮崎駿監督からは「アオガエルと一緒ではダメ」「しかも、あなたってわからないとダメ」とも言われたといいます。さらに、「子供が喜ぶようにやって欲しい」や「怒ると怖いところがあるのもちょっと見せて欲しい」とも言われたのでした。

我修院達也は若人あきらとして活動をしていた!

我修院達也は、子役として芸能活動を始めました。そしてその後、若人あきらとして活動をしていました。しかし、1991年には謎の失踪事件が起きてしまいます。釣り中に行方不明となったもので、3日後には無事発見となりました。しかし、我修院達也は失踪時の記憶を失っていたのです。

その後、芸名を若人あきらから我修院達也に変更して、活動を続けています。失踪事件後に出演した、『鮫肌男と桃尻女』という映画が転機となったかもしれません。それ以降は、声優としてジブリ映画にも出演していますし、弟子も育てています。

70歳を超えた我修院達也ですが、これからも健康で活躍していって欲しいところです。

我修院達也の関連記事

TOPへ