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    殺人鬼アルバート・フィッシュとは?事件の真相や異常な性癖とは?

    400人の子供を殺害されたと言われている殺人鬼のアルバート・フィッシュ。精神疾患を患っている家系に生まれたアルバート・フィッシュは、幼い頃から異常な性癖を持った人物でした。そんなアルバート・フィッシュが起こしたアメリカ史上に残る卑劣な事件についてご紹介。

    アルバート・フィッシュは史上最悪の変態食人鬼

    アルバート・フィッシュさんは、「満月の狂人」・「グレイマン」・「ブルックリンの吸血鬼」など禍々しい異名がついている、アメリカの犯罪史上最悪の殺人鬼とも称されています。

    彼の行動や性癖は普通では理解しがたく狂人と呼ばれる人物であり、1910年から逮捕される1934年までの間に何人もの人間の命を奪ってきました。それもただ殺すだけでは終わらない場合も多くありました。

    今回は、アルバート・フィッシュさんの生い立ちや、どのような事件を起こしてきたのか詳しくまとめてみました。

    アルバート・フィッシュのプロフィール

     

    • 本名(ふりがな/愛称):Albert Hamilton Fish(アルバート・ハミルトン・フィッシュ/満月の狂人、グレイマン、ブルックリンの吸血鬼)
    • 生年月日:1870年5月19日
    • 死没:1936年1月16日(65歳没)
    • 出身地:アメリカ合衆国・ワシントンD.C.
    • 身長:165㎝
    • 体重:58㎏
    • 家族構成:父、母、12人兄弟

    殺人鬼アルバート・フィッシュを作り上げた生い立ちとは?

    アルバート・フィッシュさんはアメリカ史上最悪の殺人鬼とされていますが、彼がなぜそのような人物になってしまったのでしょうか。どのような生い立ちから殺人鬼が生まれたのか、ここでは、アルバート・フィッシュさんの生い立ちをみていこうと思います。

    精神病患者が多い家系で育ったアルバート・フィッシュ

    アルバート・フィッシュさんは1870年5月19日に、アメリカの首都であるワシントンD.C.にて、ハミルトン・ハワード・フィッシュとして生まれました。

    アルバート・フィッシュさんが生まれたフィッシュ家は、精神疾患者が多い家系でした。父親のランダールさんは躁うつ病、母親のエレンさんは幻覚症状に悩まていたという少し特殊な環境下で育ちました。

    また、兄弟は精神薄弱者であったと伝えられています。

    アルバート・フィッシュと父親の年の差は70歳!

    アルバート・フィッシュさんは、12人兄弟で、アルバート・フィッシュさんが5歳の時に父親のランダールさんは75歳で心臓発作で急死しました。

    アルバート・フィッシュさんと父親のランダールさんの年の差は70歳でした。また、両親も年の差で、父親のランダールさんと母親のエレンさんは、43歳も年の差がありました。

    幼少期孤児院に預けられたアルバート・フィッシュ

    アルバート・フィッシュさんが預けられていた孤児院は、とても厳しい躾が行われていました。何かをやらかせば待っていたのが、鞭による体罰で多くの子供たちはその罰を恐れていましたが、アルバート・フィッシュさんは次第に鞭で打たれる事に快感を見出すようになっていきます。

    また、興奮を得るには自身が鞭打ちを受けるだけに留まらず、他の子供が罰として鞭を打たれる姿にも興奮を覚えます。鞭打ちによる罰で、楽しみにしているのは自分だけだったと語っています。

    そんな孤児院での生活は母が迎えに来る7歳頃まで続き、退院する時にはしっかりとサドマゾは彼の中で芽生えていました。

    孤児院を出てから再び家族と暮らしだす

    家族と数年ぶりに過ごすことになったアルバート・フィッシュさんですが、同じくして兄が軍を除隊して家に戻って来ていました。兄は、アルバート・フィッシュさんにポルノ写真を見せたり戦争体験について聞かせます。

    実際に戦地で目撃したと、食人について語った結果、アルバート・フィッシュさんの中で人肉食の興味が芽生えてきました。アルバート・フィッシュさんは、兄の食人の話に夢中になったのです。

    1人の少年の出会いで、さらなる性癖が開花

    アルバート・フィッシュさんは、12歳の時に売春宿で電報配達をしていた少年との出会いで性行為に及びます。その少年の影響で、糞尿性愛と両性愛に目覚めました。この頃には自身より年下の男児が好きだと自覚しています。

    15歳で学校を退学して、20歳の頃に一家でニューヨークに移住した頃には、ホームレスの男児を言葉巧みに誘っては強姦を繰り返すようになっていました。

    偶然の出会いで切断への興味を呼び起こす

    またアルバート・フィッシュさんが偶然訪れた博物館で、男性器を縦に切断された標本を発見しました。それを見たアルバート・フィッシュさんは目を奪われました。それ以来、足しげく博物館に通い、恍惚ろしながら標本を眺めました。

    これがきっかけで、アルバート・フィッシュさんは人体切断に興味を示すようになりました。男性器を切り取ろうと躍起になり、後に引き起こした事件では実際に男性器を切断しています。

    結婚して6人の子供を授かるが離婚

    1898年にアルバート・フィッシュさんは、母親のすすめで年下の女性と結婚しました。当時アルバート・フィッシュさん28歳、6人の子供にも恵まれました。しかし、男児に対しての強姦を辞める事はありませんでした。また、重窃盗の罪でも服役しています。

    1917年には妻の浮気が発覚し、妻は浮気相手と駆け落ちするも、数日後に家に戻ってきます。その時、妻に「浮気相手を一緒に住まわせてほしい」と頼まれますが、当然ながら拒否しました。

    妻は納得したかのように見えましたが、秘密裏に屋根裏部屋で浮気相手を住まわせていました。そんな生活も長続きするはずもなく、ほどなくして秘密が発覚し、激怒したアルバート・フィッシュさんは家から2人追い出しました。

    子供たちのその後は?

    アルバート・フィッシュさんは、性癖は狂っていますが、自身の子供たちに対しては優しかったと言います。暴力を振るわれた事はなく、裁判の時もアルバート・フィッシュさんは「優しい父親だった」と弁護士も主張しています。

    後にアルバート・フィッシュさんの事を「オイボレのスカンク野郎」などと罵ったとされる子供たちですが、行方などについては情報がなく、その後どのように過ごしたかはわかっていません。

    400人を殺害したアルバート・フィッシュ

    アルバート・フィッシュさんが初めて人を殺したのは1910年です。逮捕されたのは1934年のことでした。逮捕される間際まで彼は凶行を続けており、実に24年に渡って多くの幼く尊い命を奪ってきました。

    とある殺人事件の容疑者として逮捕されたアルバート・フィッシュさんは、あっさり罪を認めています。そればかりか余罪を追及されると、400人以上の子供を殺したと供述しました。

    この供述をうけた警察は、多数の人員を動員してアルバート・フィッシュさんの供述の裏付け捜査を開始しました。アルバート・フィッシュさんは、どのような方法で子供たちを殺していたのでしょうか?

    アルバート・フィッシュのターゲットは子供

    アルバート・フィッシュさんは、1910年から逮捕される1934年までの間に何人もの人間の命を奪いました。犠牲者になったのは主に子供でした。特に貧困層の黒人の子供を狙って犯行を及んでいます。理由は、貧困であるが故に十分な行動が出来ないことを知っていたからでした。

    さらには、アルバート・フィッシュさんの容姿が被害者を誘いだすのに有利に働きました。彼の風貌は老紳士という言葉そのものので、真っ先に子供を預けたくなるとも言われるほどの殺人とは無縁そうな風貌をしていました。

    多くの子供たちを殺害したアルバート・フィッシュさんですが、1度もどんな時も子供のことが憎いとは思ったことはないと語っています。

    いくつものあだ名を持つアルバート・フィッシュ

    アルバート・フィッシュさんはいくつもの異名を持っています。

    その中には、「満月の狂人」があり、「満月の狂人」の由来は、満月の日に犯行を行うことが多かったことから付けられました。

    他にも、「グレイマン」や「ブルックリンの吸血鬼」の異名もあります。アメリカ犯罪史上最悪の殺人鬼とも呼ばれ、恐れられています。

    アルバート・フィッシュによる殺害事件①

    アルバート・フィッシュさんは殺人を犯す前から、好みの男児に強姦を繰り返していました。さらに1903年には、重窃盗罪で逮捕されて、1年半ほど服役しています。そこから1910年に最初の殺人に手を染めることになりました。

    「幼児が痛みに苦しむ顔が見たい」という衝動から、トーマス・ケッデンくんを古い家屋へと連れ込み、2週間に渡って拷問しました。その際、男性器を切断したと供述しています。

    しかし犯行が発覚することを恐れたアルバート・フィッシュさんは、切断した男性器などを持って、被害者を置き去りにして、立ち去ったとされています。また、刺殺したとも言われていますが、いずれにしてもこれが彼の初めての殺人だったようです。

    アルバート・フィッシュによる殺害事件②

    1924年にフランシス・マクドネルくんが姿を消して、両親が警察に通報しました。この時、アルバート・フィッシュさんの姿を彼の友人が目撃していて、証言を聞いた彼の母親もその姿に見覚えがあったそうです。

    しかし、情報が虚しく、彼は無残な姿で発見されました。サスペンダーで絞殺された彼の遺体は木に吊るされていて、暴行の痕跡が窺えました。

    アルバート・フィッシュさんはこの時、彼の性器を切り取るつもりでしたが、人が近づいてきたので逃げたと供述しています。

    アルバート・フィッシュによる殺害事件③

    3つ目の殺害事件でも、アルバート・フィッシュさんはビリー・ガフニーくんの友人に目撃されていて、友人はブギーマンが来たと証言しました。ブギーマンとは、子供をさらうとされるお化けのことです。

    事件は大々的に報道されましたが、アルバート・フィッシュさんはビリー・ガフニーくんを解放せずに、強姦や拷問を起こった末に殺害しています。ビリー・ガフニーくんの遺体を解体して、重しを入れた袋に詰めて湖に捨て、気にいった体の一部を持ち帰って4日間かけて食べました。

    アルバート・フィッシュによる殺害事件④

    1928年に新聞紙で仕事を求める広告を目にしたアルバート・フィッシュさんは、フランク・ハワードという偽名を使いバッド家を訪問しました。そこから何日かにかけて、親交を深めて、アルバート・フィッシュさんはバッド一家に信用してもらいました。

    最初、アルバート・フィッシュさんの狙いはエドワード・バッドくんでしたが、昼食時にグレース・バッドちゃんが膝の上に乗って、キスをしてきたので、標的を彼女に変更しました。姪の誕生日があると嘘をついてグレース・バッドちゃんを誘い、空き家へと連れ込んで殺害しました。

    グレース・バッドちゃんの遺体は9日かけて、アルバート・フィッシュさんの胃袋に納められました。なお、翌日には両親が警察に届け出て、フランク・ハワードという人物が存在しないと発覚しています。

    アルバート・フィッシュが手紙を送ったことで逮捕に至る

    グレース・バッドちゃんが姿を消してから、6年後の1934年のある日、グレース・バッドちゃんの母親あてに匿名で一通の手紙が届きます。

    手紙の内容は、グレース・バッドちゃんを殺害した事、食べた事などが図などで細かく記されていて、手紙の最後にはレイプはしていない、娘さんは処女のまま天に召されたとの一文で締めくくられていました。

    手紙には犯人とバッド家しか知り得ない土産のカッテージチーズの事が記されていて、母親は慌てて警察に駆け込み、この手紙がアルバート・フィッシュさん逮捕の足が掛かりとなりました。

    アルバート・フィッシュの逮捕までの経緯

    手紙が入っていた封筒には「NYPCBA」の刻印がありました。これは、ニューヨークの個人運転手組合の事で、警察は組合員全員の執筆を調べましたが、該当者はいませんでした。しかし、1人の運転手が使用で持ち出した事が判明しました。

    その運転手の証言をもとに、アルバート・フィッシュさんの下宿が割り出されました。そこから、張り込みを続けた末に、ついにアルバート・フィッシュさんを逮捕しました。満月の狂人の犯罪に終止符を打つことになりました。

    なお、グレース・バッドちゃん殺害後から「無性に生贅が欲しくなった」と述べていて、逮捕前の6年間も次々と子供を殺害していたと見られています。

    アルバート・フィッシュの尋常ではない性癖や行動とは?

    アルバート・フィッシュさんは一言で言えば、狂人としか言えません。実際に彼の犯罪を知った多くの人々が「狂っている」と断じています。彼が狂っていると言われるのはどのような犯罪を犯したのでしょう?

    ここでは、アルバート・フィッシュさんの持つ異常な性癖や行動について解説していきます。

    泣き叫ぶ子供たちに快感を覚えたアルバート・フィッシュ

    アルバート・フィッシュさんは連続殺人をしていた中で、被害者を傷付けて苦しめる事や殺害する行為に興奮を覚えており、さらには性器に触る事なく、絶頂に到達するケースが存在します。

    アルバート・フィッシュさんは、被害者の子供を拷問にかける時に、猿ぐつわを噛ませたりせず、子供たちの悲鳴や痛みに泣き叫ぶ声をわざと聞いていました。執拗に拷問を行い子供たちを痛めつけ、悲鳴を耳にする事でアルバート・フィッシュさんは絶頂に至ったとされています。

    また、拷問する時に、ベルトに釘を打ち付け、半分程度に切ったものを鞭として使用していて、アルバート・フィッシュさんはこれを地獄の器具と呼んでいました。

    殺害した子供たちを食べていたアルバート・フィッシュ

    アルバート・フィッシュさんが殺害した子供たちの肉を食べていたのは上記でも説明しました。中には食べる事を目的にして、殺害された子供もいました。

    また、アルバート・フィッシュさんは人肉の調理にも手間をかけていて、野菜と一緒に煮込んでシチューを作ったり、時間をかけて人肉を焼き上げるなどしています。

    また、アルバート・フィッシュさんの逮捕のきっかけになった手紙には、人肉のあまりの美味しさを誰かに伝えたいという思いが故に書いたとされます。

    自虐行為を行なっていたアルバート・フィッシュ

    逮捕後に撮られたアルバート・フィッシュさんの陰嚢のレントゲン写真には、29本もの針が発見されました。細いものから太いもの、折れ曲がったもの、果てには腐食しかけたものまでもが混じっていました。

    最初は刺して直ぐに抜いていましたが、深く刺せば刺すほどに強い快感が得られるため、次第に行為はエスカレートしていきました。そして、ついには引き抜けなくなるほど深く突き刺した結果が体内に残っている針になります。

    陰嚢以外にも、背中の内側や骨盤にも針を打ち込んだと述べています。

    針以外でも自傷行為を行っていた

    アルバート・フィッシュさんの自傷行為は、針だけでは収まりませんでした。オイルを染み込ませた綿の球を直腸に挿入した上で火をつけました。アルバート・フィッシュさんは、これさえも快感として捉えていて、体の内側から焼かれるような快感に酔いしれたとされています。

    他には、熱した鉄板を用いていたとも言われていて、ありとあらゆる方法で自分の体を傷つけて快楽を追及していたようです。

    しかし、そんな極度のマゾヒストのアルバート・フィッシュさんですが、爪の間に針を突き刺すのは耐えきれなかったようです。

    子供にも虐めるように頼んでいた

    妻との離婚後、ただでさえ狂っていたアルバート・フィッシュさんの精神は完全に崩壊しました。この時を境にアルバート・フィッシュさんには数々の奇行を繰り返すようになりました。

    子供たちと別荘に滞在した時には、夜な夜な山に昇り「俺はイエス・キリストだ!」と叫びました。贖罪を求めて自傷行為を繰り返すようになり、鋲を打ち付けた木の板で子供やその友人に自身を叩くように求めました。

    次第に子供らはアルバート・フィッシュさんを気味悪がるようになったため、親子関係は悪化してしまいました。それでも、アルバート・フィッシュさんは自傷を伴う自慰を辞めることはありませんでした。

    死刑判決となったアルバート・フィッシュ

    アルバート・フィッシュさんは裁判において、彼が正気かどうかが争点になりました。何人かの精神科医が、マゾヒズム・ペドフィリア・糞尿性愛について証言しています。

    またアルバート・フィッシュさん本人は子供を殺せと言う神の啓示を受けたと述べ、著名な精神科医フレデリック・ワーサムさんもアルバート・フィッシュさんが精神異常者であると明言しました。

    裁判の結果、アルバート・フィッシュさんは死刑判決になりました。裁判後、アルバート・フィッシュさんがどのようになったのか詳しく解説していきます。

    裁判の結果死刑判決となったアルバート・フィッシュ

    見た目に騙されて、冤罪に加担したくないと陪審員を辞退したという人もいたと言われていますが、多くの世間の人は、彼が死刑になるのを望んでいました。そして、裁判はわずか10日間で終了しました。

    そこで、アルバート・フィッシュさんは死刑が宣告されています。

    判決後、アルバート・フィッシュさんは記者に電気椅子による苦痛は一生に一度しか味わえない感覚だから、今までで1番ワクワクしていると語ってとも言われています。

    電気椅子で死刑執行されたアルバート・フィッシュ

    判決から時は流れ1936年1月16日についにアルバート・フィッシュさんの刑が処される日がやってきました。電気椅子に腰を掛けて、手足を職員にベルトで固定される時にも「最高のスリル」と語ったと言われています。

    そして、死刑執行の時、アルバート・フィッシュさんは興奮のあまり激しく勃起していたと言われていて、他にもいくつかの逸話があります。アルバート・フィッシュさんの性癖にありますが、彼は体内に釘や針が残っていて、それらが機械をショートしたと言われてます。

    二度電流を流すことでようやく死刑は完了しました。また一度目の電撃終了では、頭から電流をあげつつ笑っていたなどの噂があり、この噂から金属片を飲み込む死刑囚が続出したと言われています。しかし、電気椅子による死刑は警戒のため2度電流を流すのが通例などで、これらの説は間違っていると考えられています。

    遺体の受け取りを拒否されたアルバート・フィッシュ

    アルバート・フィッシュさんは同性愛者ではなく、両性愛者でした。そのため、過去には結婚歴もあり、子供も6人います。

    その6人の子供ですが、全員がアルバート・フィッシュさんの遺体を受け取ることを拒否しました。そのため、彼の遺体は刑務所内に埋葬されています。

    殺人鬼アルバート・フィッシュの異様な性癖は幼少期の環境だった

    アメリカ史上最悪のシリアルキラー、アルバート・フィッシュさんでしたが、加害者でありながら、被害者の1人ではないかと言われています。幼少期に酷い環境で育った子供は自身の心や体を守るのに、別の人格を作り出したり、脳が感情のすり替えをするのは有名な話です。

    そんな過酷な環境で生きていくためにアルバート・フィッシュさんは、鞭打ちの苦痛を快楽に変更したり、糞尿愛好症と両性愛の青年から受けた苦痛や快楽に変換していったのかも知れません。

    だから、殺人やそれらの苦痛を他人に与えるのは罪ですが、アルバート・フィッシュさんは生きていく上で苦痛に感じる事をすべて快感に変換して適応した結果が、アルバート・フィッシュさんを狂人にしたのかもと言われています。

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