木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
2019/11/28 更新
1970年代に活躍した元歌手の石田ゆりさん。芸能界を引退した現在はどうしていらっしゃるのでしょうか。旦那は作詞家で作家のなかにし礼さんで、鬱病という噂もあるようです。今回はそんな石田ゆりさんの現在について追ってみたいと思います。
石田ゆりと聞いて、女優の石田ゆり子と勘違いするかもしれません。石田ゆりと石田ゆり子は、全く関係はなく別人です。
石田ゆりと言う女性は、元は歌手として活躍をしていました。姉には歌手のいしだあゆみさんがいます。いしだあゆみさんはドラマ「北の国から」では、女優として活躍しています。
今回はいしだあゆみの妹である石田ゆりの現在の様子と、ご主人や子供たちのことを調べて見たいと思います。
石田ゆりと聞いてすぐ思い出すのは、女優の石田ゆり子さんですね。しかし石田ゆり子さんとは、全くの別人なのです。同じような名前なので、勘違いしてしまいそうです。
石田ゆりさんには、芸能界にはお姉さんがいらっしゃいます。そこも石田ゆり子さんと似ています。石田ゆりさんのお姉さんは、以前は歌手として活躍していた、いしだあゆみさんです。最近は女優としての活躍が多いですね。
このように石田ゆりと石田ゆり子は、名前も似ていますが姉妹も芸能界で活躍しているのも似ています。しかし石田ゆりと石田ゆり子は全くの別人なのです。
石田ゆりは4人姉妹の末っ子と言うことです。長女は石田治子と言い、1968年の冬期オリンピックにフィギュアスケート代表として出場しています。次姉はいしだあゆみです。いしだあゆみは、芸能界で歌手としてデビューしました。
ヒット作は「ブルーライト・ヨコハマ」など多数あります。その後は女優としても活躍していて、「北の国から」や映画「駅 STATION」では高倉健と共演しています。
宝塚歌劇団への入団を断った石田ゆり。姉のいしだあゆみの影響なのが分かりませんが、歌手を目指して上京するのです。
東京へ上京した石田ゆりは、芸映プロへと所属しています。同年に東芝音楽工業(現東芝EMI)から、「悲しみのアリア」で念願の歌手デビューを果たすのです。
歌手としてアルバム2枚、シングル4枚を発表していますが、なかなかヒット曲には恵まれませんでした。
宝塚歌劇団への入団を拒否して歌手デビューした石田ゆり。デビューはしましたが、なかなかヒット曲には恵まれませんでした。
しかし歌手としてデビューしたお陰で、石田ゆりは運命の男性と知り合うことになりました。
1971年に石田ゆりは、芸能界を引退します。それは運命の人、なかにし礼と結婚したためでした。なかにし礼は、石田ゆりが歌手としてデビューした時、全てのシングル曲の作詞を手がけていたのです。
なかなかヒット曲には恵まれない石田ゆりを、なかにし礼は暖かく見守っていたと思われます。その優しさに触れた石田ゆりは、なかにし礼との結婚を決めたのかもしれません。
なかにし礼との結婚を機に、芸能界を引退した石田ゆり。しかし再び、芸能界へと復活を果たします。1978年にスタートしたドラマ「ムー一族」への出演が決まったのです。
その「ムー一族」では、居酒屋の女将さん役での出演です。この他にも「風光る・亜希子」にも出演していますが、その後あまりメディアには登場しなくなるのです。
石田ゆりが芸能界へ復帰した作品「ムー一族」。この「ムー一族」は、当時のドラマの概念を超えていました。テレビドラマと思ってみていたら、突然情報番組風に「ムー情報」が始まったり、郷ひろみと樹木希林が「林檎殺人事件」を歌い出すのです。
またラジオ番組やテレビの実況中継も交えるなど、バラエティ色が強いテレビドラマだったのです。
番組終了後は、出演者やプロデューサーのスキャンダルなどで、地上波などでの再放送はされていません。しかし唯一DVD-BOXとして、30年の月日が経った2008年9月に発売されています。
女優として復帰をした石田ゆり。最近ではメディアへの露出が減っていました。2015年の「徹子の部屋」には、夫のなかにし礼と揃って出演しています。
「徹子の部屋」では、私生活のことや家族の事などを話しています。石田ゆりは、黒柳徹子の巧みな話術によって、私生活の事などを笑いながら話したそうです。
石田ゆりの旦那は、作詞家のなかにし礼です。なかにし礼とは、石田ゆりが歌手としてデビューした時からの付き合いのようです。作詞家の傍らに、なかにし礼は作家としての活動をしています。2000年には「長崎ぶらぶら節」で直木賞を受賞しているのです。
これからはご主人の、なかにし礼にスポットをあててみたいと思います。
なかにし礼と石田ゆりが出会ったのは、石田ゆりが歌手としてデビューするときです。石田ゆりのデビュー曲の作詞が、なかにし礼が担当しています。
石田ゆりが出した全てのシングル曲は、なかにし礼が作詞しているのです。なかにし礼が作詞したのに、なかなかヒット曲には結びつきませんでした。
必死でヒット曲を目指して頑張っていた石田ゆり。その頑張りを目の当たりにしていた、なかにし礼。当時独身だったなかにし礼は、必死で頑張っている石田ゆりと結婚をすることになります。
今にして思えば、その後のなかにし礼の活躍は、石田ゆりとの結婚が関係していると言っても過言ではないと思います。それを考えると、石田ゆりにとっては、なかにし礼は運命の人だったと言えるでしょう。
2人は、1971年に結婚したのです。
なかにし礼は、大学時代にある女性と結婚をしています。その時には一女をもうけたのですが、1966年に別居し1968年に離婚が成立しています。
石田ゆりとの結婚は、なかにし礼にとっては再婚と言うことです。なかにし礼は再婚してからも、多方面で活躍しています。石田ゆりとの結婚は、なかにし礼にとっては最高だったと言えるかもしれません。
なかにし礼と石田ゆりとの間には、子供さんが2人いるようです。長男は康夫さんで、長女は夏奈子さんと言うことです。夏奈子さんのご主人は、フランス人だと「徹子の部屋」で話しています。
長男の康夫さんは、現在音楽プロデューサーとして活躍しています。奥さんは女優の、有沢比呂子さんでしたが、2015年11月11日、心不全のため47歳の若さで亡くなられました。
なかにし礼は、作詞家をしながら作家としても活動しています。直木賞を受賞したりいているのです。NHKの連続テレビ小説「てるてる家族」も、なかにし礼の著書が原作となっています。
その「てるてる家族」のモデルは、妻である石田由利子の家族だと言うことなのです。
「てるてる坊主の照子さん」はなかにし礼が、妻の石田ゆりの家族をモデルとして書き上げた小説です。戦後復興期の昭和30年代の、大阪池田市を舞台にしています。池田市と言えば、妻の石田ゆりの出身地なのです。
大阪の肝っ玉母さんを中心に、4姉妹の成長物語を描いています。また佐久間良子によって、舞台化もされています。
「てるてる坊主の照子さん」の主人公は、石田ゆりをモデルとして描かれています。原作では、4姉妹の成長物語となっており、石田ゆりも4姉妹の末っ子なのです。
NHK連続小説でも、4姉妹の末っ子「冬子」が主人公となっており、石田ゆりがモデルとなっているのは間違いないでしょう。
歌手として短い間での活動でしたが、なかにし礼と結婚して幸せな生活を送った石田ゆり。その石田ゆりの現在は、どのような生活をしているのでしょうか。
「徹子の部屋」に夫婦で出演した、石田ゆり。その番組で、なかにし礼の闘病生活が語られています。2012年に、なかにし礼は食道がんに冒されたのです。その時は手術をすすめられたのですが、なかにし礼自身が、その手術に堪えられないと判断します。
自らの手で診断方法を探し出し、その「陽子線療法」で食道がんを克服したのです。
なかにし礼は、1度食道がんを克服したのですが、2015年に再発してしまいます。しかし再発した箇所が、陽子線療法を使えない部位だったのです。
気管支に近い箇所での再発で、がんが成長していくと気管支を破ってしまう恐れがあるのです。それを穿破(せんぱ)と言います。穿破すると最悪の場合は即死、最長でも4日間と言われています。
この様な重篤状態の看病は大変な物です。その看病ストレスが今度は、妻の石田ゆりさんを襲うのです。
死を覚悟するような、がんとの闘いをしているなかにし礼。「一日一日を大切にして下さい」と主治医から言われたなかにし礼。死をも覚悟する闘病生活でした。
その闘病生活を支えている、家族にも相当なプレッシャーが掛かっていたのでしょう。妻の石田ゆりを「介護うつ」が襲ったのです。
妻が「介護うつ」といち早く悟ったのは、なかにし礼でした。なかにし礼が入院している病院には、精神的に苦しんでる患者や、看病する家族の精神面を支える「精神腫痬科」というのがあったのです。
そこで処方された薬のお陰で、石田ゆりは日に日に元気を取り戻していき、現在では完全に回復しています。
なかにし礼の、自伝的小説「夜の歌」では、がん闘病のことや穿破の事が赤裸々に綴られています。なかにし礼の病室には、たびたびゴーストが訪れます。
そのゴーストがとても美しく、なかにし礼の過去や現在がとても幻想的に差くん品となっているのです。
石田ゆりがピーターに似ているという噂があります。本当に似ているのか、画像で確認してみましょう。
上の画像が、最近のピーターです。下がデビュー当時の石田ゆり。こうやって見比べると、若い頃のピーターだったら、石田ゆりに似ていた可能性はあります。
歌手としての活動期間が短かった石田ゆり。全てのシングル曲を簡単に紹介してみたいと思います。
石田ゆりのデビュー曲です。作曲は筒美京平で作詞はもちろん、なかにし礼です。
石田ゆり2曲目のシングルです。作曲は川口真です。声の清涼感があり素適な歌ですね。
「愛ある限り」や「悲しみのアリア」に続いての3枚目となるシングルです。曲自体はとても優しい感じで素適ですね。
石田ゆり4枚目のシングルです。作曲は筒美京平、作詞なかにし礼。今ではゴールデンコンビと言って良いですね。
宝塚歌劇団を断ってまで、歌手になりたかった石田ゆり。念願の歌手になったのですが、なかなかヒット曲に恵まれませんでした。そんな中、突然なかにし礼と結婚するのです。
では何故なかにし礼と結婚したのでしょうか。なかにし礼が自分の著書の中で語っています。
ある日なかにし礼は「君は歌なんか辞めて、ボクのお嫁さんになりなさい」そしたら石田ゆりは「はい!結婚します」とあっさり答えたそうです。石田ゆりの中では、なかにし礼が運命の人だったと言うことなのですね。
運命の男性である、なかにし礼と結婚した石田ゆり。最愛の夫の看病のプレッシャーに、押しつぶされそうに成りながらも、懸命に看病をしました。そんな2人を繋いでいるのは、愛の強い絆なのでしょう。
またいつの日か、夫婦揃ってテレビで見ることが出来ることを願っております。いつまでもお幸せに!
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【この記事は2019/11/28に更新されました。】