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被差別地域出身の有名人はたくさんいる?同和部落について徹底解説!

同和部落と呼ばれる被差別地域をご存知ですか?この地域はかつての穢多・非人が住んでいた場所で、その名残からか現在も差別が残っています。そんな被差別地域ですが、そこで生まれて現在も芸能界で活躍している有名人は多くいます。今回はそんな有名人を紹介していきます!!

【この記事は2019/11/28に更新されました。】

有名人や芸能人には被差別地域出身者がたくさんいる?

有名人や芸能人の中には、被差別地域出身者が多いという噂があります。一般人でさえ、被差別地域出身を隠して生活する方も多いですが、有名人自ら被差別地域出身だと公表した人もいました。

被差別地域は、同和地区や部落とも呼ばれることがあります。そこで暮らしていた人々は職業や移住地を強制され、婚姻も制限がされていました。身分が低いという理由だけで、とてもひどい扱いをされるなど、いろいろな差別を受けてきたのです。

そんな被差別地域は東北より南側の日本中にあり、西日本を中心にいろいろな県に存在しています。現在では法律上、差別することは撤廃されていますが、被差別地域はどんな様子なのでしょうか。また、被差別出身者の芸能人もご紹介します!

被差別地域(同和部落)って何?

歴史的な背景で作られた階級制度で、21世紀になった現在も、根深い差別は続いています。エタやヒニンが移住していた地域が被差別地域とされていました。この地域に住んでいた人たちは、同じ地区に住んでいた人としか結婚が許されていませんでした。

限られた地域なので、親族同士の結婚はどうしても避けられなかったようです。血筋が濃くなるということで、障害を持って生まれてくる子供いたようですが、逆に美しく優秀な子供も生まれていたようです。

被差別地域にいたら職業も限定され、容姿端麗ということから芸能界に入って活躍する有名人や芸能人も多かったとのことです。

被差別地域(同和部落)のはじまり

被差別部落は、自然発生や勝手に出来た地域ではありません。かつて江戸幕府は、身分制度を固定させることで、幕府の支配の安定化を図りました。それが士農工商という制度です。そこで商の下に置かれた身分が、エタとヒニンです。

この時、エタとヒニンが後々言われる被差別部落民という立場になります。

エタとヒニンの人たちは、普通人が住まないような辺鄙な河原に住まわされたり、川沿いの安定しない場所に住まわされました。土地を持つことを許されずに、草履づくりや竹細工などの家内工業で生計を立てることになります。

被差別地域(同和部落)の廃止

明治時代になり身分制度も廃止になり、本来なら被差別地域は無くなるのですが、残念ながら差別は現在も続いています。しかし、差別地域や同和部落を廃止させようという運動もあり、それを阻止する力もあります。

その阻止しようとする力の中には、なんと被差別地域の人たちの働きもあるようです。被差別地域に住んでいるからこそ得られる利権もあるようですし、国から補助金としてかなりの金額が助成されているそうです。

被差別地域(同和部落)には美形が多い?

被差別地域の出身者は美形が多いと言われています。

昔は、婚姻に関して被差別部落民同士と限定されていたため、血筋が濃くなって美形が増えたのではないかと噂されています。

被差別地域(同和部落)の差別戒名って?

「差別戒名」とは、被差別部落民ということがわかるように、屈辱的な文字を戒名に使用することです。具体的には、「屠士」や「弾畜門」、「鞍男」などで皮や屠などの通常では、絶対に使用しない漢字が使われています。

被差別地域(同和部落)の同和利権って何?

被差別地域の環境整備などには、公共事業として巨額の公費が使われています。同和団体と暴力団や政治家などが手を組んで、その金を自分の物にしようとする動きを同和利権と言います。

被差別地域者の個人による同和利権もあります。差別を受けたとは言って、企業や役所から金を受けようとするものもいるようです。

被差別地域(同和部落)の問題は解決した?

まだまだ被差別地域問題は解決したとは言えません。現在でも、結婚や就職で差別を受けていると言われています。

先祖が幕府に決められて、無理やりエタ、ヒニンにさせられ、その子孫までが未だに辛い思いをしています。その現状を知り、問題解決に尽力することが必要不可欠でしょう。

被差別地域(同和部落)出身の有名人

現代では有名人や芸能人と言えば、「華やかな世界で成功すればお金持ちになれる」というイメージですが、江戸時代から昭和初期までは「芸能は身分が低く、貧しいものがする」というのが決まりでした。

昔は有名人や芸能人の社会的地位は低いものでした。その流れは近年まで続けられてきました。芸能事務所の経営者側に被差別地域の出身者が多かったため、雇用される芸能人や有名人も被差別地域の出身者が採用されやすいというの噂もあります。

現在はそんなことはないとは思いますが、被差別地域出身者と噂される芸能人や有名人はいるようです。それらの人たちを紹介していきます。聞くと誰もが知っている大物政治家や、国民的俳優、時代を代表する歌姫など超有名人もいました。

①野中広務

野中広務さんは、自由民主党所属の国会議員で、大臣や内閣官房長官、国家公安委員会院長などを務めるなどして、異名に「影の総理」を持つ超大物の政治家でした。

野中広務さんは、1925年に京都府の南丹市で生まれました。自身でも被差別部落出身であることを認めています。認めたうえで、さらには被差別部落や在日朝鮮人に対しての差別対策に尽力しました。

2001年のエピソードとして、麻生太郎さんが発言した「野中広務は部落出身者だから、総理大臣にはできるわけない」を耳にして、「絶対に許さない」と激高して、麻生太郎さんに詰め寄ったというものがあります。

②三国連太郎

三国連太郎さんは、個性派俳優として活躍し、昭和の映画スターであり日本の名俳優の1人でした。「ビルマの竪琴」や「はだしのゲン」などの180本以上の映画に出演しています。

三国連太郎さんは、1923年に群馬県の太田市で生まれました。父親は電気職人で、被差別部落出身者と公表しています。そのため、部落差別に関する書籍を出版したり、講演会を開いたりしていました。

2013年に亡くなるまで、息子に「戒名はいらないから、つけないで」と言い残しています。被差別地域の人たちには専用の屈辱的な文字を混ぜた「差別戒名」があります。それが許せないため、戒名を拒否しました。

③加藤あい

加藤あいさんは、正統派美人女優として活躍しており、2000年頃にはCМ女王にもなっています。

加藤あいさんは、1982年に愛知県のあま市甚目寺地域で生まれました。この地区は東海地方の養老に並ぶほどの被差別地域として有名な場所です。

加藤あいさん本人は公表をしていませんが、地元では被差別地域出身ということは有名な噂だそうですよ。

④萬田久子

萬田久子さんは、ミスユニバース出身で抜群のスタイルを活かして、現在も女優として活躍されています。

萬田久子さんは、1958年に大阪市の大正区で生まれました。実家は「肉のマンタ」という名前の精肉業を営んでいます。

大正区は被差別部落が多いことで知られていて、エタの生業であった精肉業を実家が営んでいることから、被差別地域出身なのではないかと噂されています。

⑤倖田來未

倖田來未さんは、言わずと知れた平成の歌姫です。ずば抜けた歌唱力と、その日本人離れをしたスタイルの良さで大ブレイクしました。数多くの代表曲を残しています。

倖田來未さんは、1982年に京都市の伏見区で生まれました。京都市の伏見区は、被差別地域の歌である「竹田の子守歌」の発祥の地として知られています。

そのため、京都市伏見区の出身である倖田來未さんは、被差別地域出身だと噂されています。

➅島田紳助

島田紳助さんは、元お笑いタレントです。2011年8月23日に暴力団関係者との「黒い交際」があるという理由で引退を宣言し、芸能界を引退しました。

島田紳助さんは、1956年に京都府京都市の南区出身に生まれました。

この京都市の南区は、屠畜場(牛や馬などの家畜を屠殺して、食肉に加工する場所)がありました。通常、屠畜場はエタの移住地付近に作られていました。そのため、島田紳助さんも被差別地域出身ではないかと噂されています。

⑦橋下徹

橋本徹さんは、日本のタレント、弁護士で、元大阪府知事に就任したり、おおさか維新の会の代表を務めました。知事になる前は、「行列のできる法律相談所」や「たかじんのそこまで言って委員会」などでレギュラー出演していました。

橋本徹さんは、1969年に東京都の大島町で生まれました。10歳になったころに、大阪市の淀川区に引っ越しています。その時、たまたま抽選で決められた府営住宅に入居するのですが、そこが同和地区でした。

橋本徹さん本人は、「確かに同和地区で育ったが、被差別地域出身ではない」と発言していたようです。橋本徹さんの亡くなった父親が、元暴力団組員で被差別地域出身という噂もあります。しかし、これはあくまで噂であり、真偽のほどはわかりませんでした。

⑧川原亜矢子

川原亜矢子さんは、女優でありながらモデルも務めています。雑誌「Domani」や「marisol」の専属モデルをしていました。

川原亜矢子さんは、1971年に大阪府の東大阪市で生まれました。

川原亜矢子さんの父親は、部落解放同盟大阪府連合会の幹部です。父親が被差別地域出身なので、川原亜矢子さんも同じ被差別地域出身だと噂されています。

⑨三島由紀夫

三島由紀夫さんは、作家で代表作には「潮騒」や「金閣寺」、「鹿鳴館」などがあります。「Esquire」誌で「世界の百人」に日本人初として選ばれました。

三島由紀夫さんは、1925年に東京都新宿区の四谷に生まれました。

三島由紀夫さんの祖父が兵庫県加古川市の志方出身で、この地区は被差別地域です。そのため、孫である三島由紀夫さんも被差別地域出身ではないかと噂になったようです。

⑩美空ひばり

美空ひばりさんは、自他ともに「歌謡界の女王」と認められた昭和の歌謡界を代表する歌手の1人であり、女優です。歌謡曲や映画、舞台などで活躍されていました。女性では史上初の国民栄誉賞を受賞しました。

美空ひばりさんは、1937年に神奈川県横浜市の磯子区に生まれました。実家では両親が魚屋を営んでいましたが、被差別地域出身だと噂されています。

また1989年に行われた美空ひばりさんの葬儀には、「部落解放同盟委員会」から花が贈られていました。これらのことから、美空ひばりさんも被差別地域出身ではないかと噂されています。

⑪八代亜紀

演歌歌手の八代亜紀さんも被差別地域出身ではないかと言われています。代表曲に、「舟唄」や「雨の慕情」などがあります。

八代亜紀さんは、1950年に熊本県の八代市で生まれました。

八代亜紀さんの両親が、在日朝鮮人で被差別地域出身だと言われているため、八代亜紀さんも被差別地域出身ではないかと言われています。

⑫杉良太郎

歌手で俳優をされている杉良太郎さんも、被差別地域出身ではないかと言われています。杉良太郎さんの代表作といえば、「遠山の金さん」ではないでしょうか。

杉良太郎さんは、1944年に兵庫県神戸市の長田区番町で生まれました。

長田区番町は、西日本で最大の被差別地域として有名な地区です。そのため、その地区の出身者の杉良太郎さんは被差別地域出身ではないかと噂されています。

⑬瀬川瑛子

大御所演歌歌手の瀬川瑛子さんも被差別地域出身ではないかと言われています。

瀬川瑛子さんは東京都渋谷区の出身になっていますが、実は神奈川県川崎市の中原区出身ではないかと言われています。

また、帰化した元在日朝鮮人で被差別地域出身ではないかと噂されています。

⑭西川きよし

西川きよしさんは、漫才師として一世を風靡して、政治家に転身しました。

西川きよしさんの出身地は、高知県の高知市朝倉なのですが、親せきに部落解放同盟会委員がいるため、被差別地域出身だと噂されています。

⑮宮澤喜一

宮澤喜一さんは、大物政治家で第78代内閣総理大臣も務めました。

宮澤喜一さんは東京都出身ですが、先祖は被差別地域出身で、福山市の金江地区に住んでいたそうです。

部落解放運動家で政治家の小森龍邦さんが証言しています。さらに、「宮澤喜一は私(小森龍邦)」と発言しているため、被差別地域出身ではないかと噂されています。

⑯松嶋尚美

現在もお笑いタレントとして活躍している松島尚美さんも、被差別地域出身ではないかと言われています。松島尚美さんは、大阪府の東大阪市出身です。

松島尚美さんの従兄が、東大阪市議会員と同時に部落解放同盟の幹部のため、松島尚美さんも被差別地域出身ではないかと噂されています。

⑰やしきたかじん

やしきたかじんさんは、歌手でありながら司会業でも人気を博していました。やしきたかじんさんは、大阪市の西成区出身です。

身内の話題を話したがらなかったやしきたかじんさんの父親は在日韓国人で、被差別地域出身者だったと噂されています。

⑱川端康成

川端康成さんは、大正から昭和初期に活躍した近現代日本文学の頂点に立つ作家の1人です。代表作には、「伊豆の踊子」や「雪国」などがあります。

1972(昭和47)年4月16日に自殺した川端康成さんですが、1977(昭和52)年に臼井吉見さんの中編小説「事故のてんまつ」で、川端康成が被差別地域出身だと暴かれました。

⑲森口博子

森口博子さんも被差別地域出身ではないかと言われています。森口博子さんは、80年代にアイドルデビューした、歌手でタレントです。

森口博子さんは、1968年に福岡県福岡市南区の大楠で生まれました。帰化した在日韓国人で、被差別地域の出身ではないかと噂されています。

⑳オール巨人

オール巨人さんは、「オール阪神・巨人」というコンビ名で、漫才をされています。

1951年に大阪の天王寺区で生まれました。在日韓国人で、被差別地域の出身ではないかと噂されています。

被差別地域(同和問題)はまだまだ解決していない!

現在は人権問題、平等性を訴える声は多く、差別という問題は解決されていくように見えますが、逆に差別を無くさないように圧力があるのも事実のようです。

有名人や芸能人の中には自分の出生を隠す人もいますし、また別の有名人は自分の出生を堂々と公表する人もいます。どちらが良い・悪いではなくこればかりは答えがありません。

時代と共に少しずつでも被差別地域や同和地区の差別が減っていけばと強く思いますし、ちゃんとした知識を身につけて個人の意識改革をしていく必要があると言えます。

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